明けましておめでとうございます!
年末に風邪をひいてそのまま忘年会に行ってこじらせたゆきつぐです。
熱があるのか無いのか若干テンション高いです。
前回、「続く」と言ってしまったので今回は続きです。
正月からイイおっさんが「ビキニ」「水着」という訳ですが、そこは
「男に二言は無い」が信条だとカッコいいかもしれないと思ってる国の人なので。
新春スペシャル始まるよ。
前回の続きな訳ですが
「ビキニアーマー」とか「水着鎧」とかで検索かけると
モニターいっぱいにモザイクが広がります!
誇張が過ぎましたが、結構エロ方面にリンクしますね・・・
どうしてこんな事になったのでしょう・・・
このフェティッシュなプロテクターに魅力以外の有効性があるのか?
前人達の考証を参考してみると
やれ「敵の目を欺く為だ
やれ「回避を優先しているのだ
など、様々なことが議論されております。
しかし、本当のところは製作者の意向に従ってデザインされた訳で、
つまりは作り手がスケベだったということですよね。
どこかで「エロは世界を救う」とかそんな格言を聞いたことがありますが、
言葉だけで覚えてしまったので、意味を知りません。
推測するに以下のような内容でしょうか?
エロい方が売れる
↓
経済が活性化する
↓
いろいろあって世界平和
確かに人類史を紐解いてみても
エロが繁栄に於いて重要なファクターであることは間違いありません。
しかし議題に上がるフェチの為のプロテクターの及ぼす影響というのはどうでしょう?
思春期器官が覚醒
↓
人格形成に影響
↓
ある種の予備軍の温床に
と、いうのがごく自然な流れだと思います。
このようにして不健全な社会が形成されていく訳ですね。
熱に浮かされたアタマでもこれは是正せねばならないと思います。
しかし、具体的にはどうしたらいいのでしょうか?
・・・考えてみました。
つまり、露出が大きい方がエロいと思っている事が間違いだと気づかせてやれば良いわけです。
だから、これからはエロのフラッグシップは
「見えない方がエロい」
です。
隠すことこそがスタンダードなエロであり、健全なエロ足りうるのです。
それ以外は恥です。
日本人)文化人たる紳士淑女よ恥を知れ!
と言うことです。
おっぴろげのエロはエロに非ズ
・・・ちょっとあけすけにエロエロ書きすぎました。さすがに怒られそうです。
とにかく私が何を言いたいかというと、
見えない部分が大きい方が見えた時のカタルシスが大きい。
つまり
【(見えない-見える)×見せる=カタルシス≒満足度】
という公式が成り立つのです。
更に完全を期すためにこの公式に時間軸を加えて考えてみましょう。
抑圧の延長を試みるのです。
最大限に鬱積したフラストレーションは小さな決壊ですら満足感をもたらすはずです。
例を挙げるならば、
「ガードの固いヒロインのパンチラ」です。
日常が事細かに描かれていればそれ以上のエロは不要です。
シチュエーションによっては「パンツが見えてしまったかもしれない」という程度でも十分です。
毎度の入浴シーンなど刺激が強すぎます。
そして
「ツンケンした学級委員長の笑顔」
「別にあんたの為じゃない」とかそんなお決まりの台詞も必要ありません。
普段表情が崩れないあの娘が笑った・・・。
その後は見る目が変わります。あの場面を思い浮かべた人も居るでしょう。
極めつけは
「敵対していたあいつが味方に!」
強力な敵との闘いにおいて危機的状況に・・・
そんな時です、
今まで敵対していたはずのあいつが現れ敵と共に散ります。
そして主人公たちは最終決戦へと歩を進めるのです。
数々の名場面が脳裏をよぎります・・・。
そうです
カタルシスの公式が当てはまるのは何もエロに限った事ではありません。
およそあらゆる事象は抑圧されていた方が開放時の満足度は高いのです。
これは名作と呼ばれる多くの娯楽作品が証明してくれているでしょう。
私は物語を作る上でも同じだと思います。
これが至らない・・・つまり、抑圧が足りない、或いは過度に行われた場合、
その作品の位置づけはB級と揶揄されがちです。
しかしながらカタルシスを超えた先のカタルシスにたどり着くため
・・・フェティシスティックになるために敢えてB級に踏み込んでいくのもいいでしょう。
そうなれば、もはやそれは嗜好の問題です
だから人に兎や角言われたくはないですね。
そこは注意しなければいけません。
ベタとB級が好きなのは嗜好ですから人に兎や角言われたくありません
大切な事なので2度言いましたが。
さて、・・・次はまじめにファンタジーについて考えたいと思います。
やっぱりドラゴンとかお姫様の話ですかね?
なんにせよ心身共に健康なとき書いた方が良いかもしれないと思う今日このごろです。
人生にはカタルシス欲しくない。
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