2014年4月26日土曜日

おっさん考

厚生労働省によると、31歳から44歳が壮年、45歳から64歳が中年らしい。
この「壮年」「中年」を「おっさん」と呼ぶとするのならば、僕らはいままさにこの長い「おっさん道」のスタートラインに立っていると言えるでしょう。

現状を変え、新しい姿へと世界を導こうとするストーリーにおいて、多くの場合その中心になるのは「少年(6歳から14歳)」「青年(15歳から30歳)」にあたる「若者」です。
しかし、彼らだけでは物語は前へ進まない。みずみずしく美しい彼らと対比される存在、おっさんが必要不可欠なのです。

前作「SERAPH eau rouge」の頃から、漠然と「おっさん」というものへのあこがれを抱いてはいたものの、所詮「若者」であった僕らに「おっさん」の汚さも、悲しさも、頼もしさもわかりはしなかった……のではないだろうか……。
歳を取ることは辛いことです。でも、ある種の実感を持って「おっさん」を描けるようになった(ような気がする)のは、喜ぶべきことなのかもしれません。

……と、そんなわけで、僕の心に残る「ゲームにおけるおっさんたち」をサクッと紹介してみようかと思います。言うほど、おっさんバリエーションが豊富なわけじゃないですけどね。まあ、ゆるっと。







■指導するおっさん
若者の才能を見いだし、危うさを戒め、正しい方向へ導くおっさん。ゲームというものの特性上、こういう人らとともに出撃することで、操作に慣れ親しんだりしますよな。
こういう若者の味方になるおっさんは、だいたいすみっこに追いやられたりしており、僕らも「若者の味方」を目指そうとすると、そうなることは避けられないんでしょうか。ゲームじゃないけど、「パトレイバー」の後藤隊長とかもそんな感じ。


ジャック・バートレット(42)
第108戦術戦闘飛行隊所属サンド島分遣隊の隊長。不器用だが、仲間を思いやる気持ちは誰よりも深い。万年大尉。

「文句の山ほどもあろうが人手も足りん。明日からは新米どももスクランブル配置だ。上では俺の側から離さん」



■自らを犠牲にするおっさん
若者のために、その命をなげうつおっさん達。この役どころ、普段はちゃらんぽらんで、若者からすると「もっと真面目にやってください(プンプン!)!」みたいなおっさんが担当すればするほどに、涙を誘うものになると言えるでしょう。
「四六時中、気を張り詰めていなくてはならない若者」に対して、「やるときゃ、やる」ができるのが、おっさん。


ギルダス・W・バーン(32)
元新生ゼノビア王国聖騎士団所属。ハイランドの上都ザナドュ出身。ゼノビア人。聖騎士ランスロットと同様に、騎士団の不祥事から身分を剥奪され、国外追放の処分を受けた。
酒と女が何よりも大切な、およそ騎士らしからぬ男。しかし、情に厚く頼りになるタフガイでもある。

「デニム……?そうか、お前は無事だったのか。そいつはよか…った…」




ガラフ・ハルム・バルデシオン(60)
「バッツ…レナ…ファリス…そしてクルルよ…エクスデスを……エクスデスを…たお…せ……」



■立ちふさがるおっさん
若者が乗り越えるべき「壁」となるおっさん。おっさんたちに支配された世の中で、若者が自らの正しさを訴えようとするのならば、これは力で排除しなくてはならぬ。悲しき世代間闘争。おっさんは、これまでの自らの生き様には責任を持たなくてはならない。しかし、自分が100パーセント正しいと信じているわけでもない。そこに、もはや「変化」への弾力性を失ったおっさんならではの哀しみが見て取れる。ような気がする。


ガフ・ガフガリオン(53)
「“悪事”と言うのか!?お前は“悪事”と言うのかッ!
おまえはベオルブ家の人間だ!ベオルブ家の人間には果たさねばならン責任がある!
その責務を、おまえは“悪事”というのかッ!!この愚か者めッ!!」



■どうしようもないおっさん
大人のくせにだらしなく、主人公であるところの若者からすると唾棄すべき存在。しかし、彼らを反面教師として若者達がたくましく育ってくれれば、その存在も救われましょう。
ちなみに、ここで出てくるレオナールさんは、最後は男を見せ、「自らを犠牲にするおっさん」へと二階級特進を果たしました。


レオナール(32)
「……私は、汚らわしい人間なのです。弟たちが殺され、家が焼き払われていることも知らず、裏の林で……」

(9:26から)



というわけで各種おっさんを取りそろえた新作「Argus」、最終仕上げに入っておりますので、もう少々おまちください。
 


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