2011年12月31日土曜日

戦いのはじまり


フレーニア王国暦246年

聖戦を謳う東方のメリア教国の戦争は10年の長きに及び、隣国エン・メサ公国は疲弊していた。
戦争から逃れた民はフレーニア王国との国境アクサへと流れ、アクサの長城の前は家や土地を失った民衆で溢れた。
長城へと到達したメリアの兵は、これらの非戦闘員も見過ごすことはせず、アクサはさながら処刑場と化すことになる。これが世に云う『アクサの大虐殺』である。

ときのフレーニア国王ヨーゼフはメリアとの関係悪化を懸念し戦争への介入を避けたが、虐殺の現場を目の当たりにしたフレーニア騎士達は、公国の民を救うべく城門を開放し出撃。アクサ城内には多数の難民と共にメリア兵が押し入り、丸一日の激しい戦闘の後、陥落してしまう。
この日よりフレーニア王国とメリア教国の戦争が始まることとなる。

メリアの主力である聖騎士団は依然として公国と交戦中であったため、アクサでの戦いは消極的なものであったが、公国が滅ぶや否やメリア教国の本隊はフレーニアへと侵攻を開始し全面戦争へと発展してしまう。

国王 ヨーゼフも重い腰を上げ、各地の騎士団を召集し大規模な軍を編成。聖騎士を主軸とするメリア騎士団を迎え撃つも、穀倉地帯を抑えられた王国軍は王都近くまでを後退を余儀なくされた。

ここでレムン川を東西で挟み、教国軍との決戦に臨んだ王国軍であったが、川を河口まで赤く染めあげたと伝えられる激しい戦いは、王国軍のまさかの敗北により終決。
戦線は更に後退し王都バイア・フレーが戦場になろうとしていた。


次回更新予定:1月8日

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